1986年4月8日 12:15
18歳という若さで亡くなった一人の女の子がいた。

岡田有希子さん (本名:佐藤佳代さん)

その当時のトップアイドルを走ってきた彼女。
1984年の新人賞を総なめにし、1985年にも賞を受賞してきた実力の持ち主。

私が高校3年生になったばかりの4月8日、そんな彼女が亡くなった。
あれから32年、彼女の33回忌の日。

今年が一つの区切りの年。
きっとこの場所に来るのは最後になるだろう。
そんな思いで、新宿駅から四ツ谷四丁目交差点へと歩いた。
私が到着した12時すこし前には既に多くの人が彼女を囲むように集まっていた。
私も彼女に手を合わせた。

そして・・・12:15を迎えた。
数えきれない程の花束と写真や絵やポスター、
そして当時まだ少年・少女だった多くのファン、当時を知らない若い世代のファン、
本当に多くの人々に囲まれていた。
そして皆で有希子の側に寄り添って一分間の黙祷を捧げた。

代表の方々はこの花束を全て名古屋の彼女が眠る「成満寺」へ運んでくれた。
この大木戸ビル前で集まり、黙祷を捧げ、そして花束を運ぶ事も含めて
今年の33回忌をもって一つの区切りにするという事は、
毎年集まっているファンにとっても苦渋の決断だったと思う。

毎年この命日の「佳桜忌」に、四ツ谷から成満寺までみんなの思いの花束を届けて頂けた事、本当に有難う御座いました。

そして岡田有希子(佐藤佳代)さん
これからもユッコのウタゴエはずっと私の心で響いていきます。
安らかにお眠りください。ありがとう。
20180408 岡田有希子_佳桜忌1


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大木戸ビルの空は雲ひとつなく晴れ渡っていました。
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